ろじうらのあかり

好きだからこそやるんじゃない やってるからこそ好きなんだ

日報:2019-12-08「振付師が後悔してどうする」

 

 Leviusを現在6話まで見ています。こんな作品を一気見できちまうのが2019年ってやつなんだ!

 安定して面白いな……としみじみしながら見ているのですが、主人公レビウスの叔父であり機械拳闘におけるセコンドでもあるザックが異様なまでの愛嬌を出してきて所々で心臓が止まりそうになります。1話でさ……レビウスに「ごめん、叔父さん(あの技を使うよ)」って言われたときのザック、ロープに一直線に突っ張った姿見たときはマジで魂消るかと思いました。本当になんなんだ……。まあでも、レビウスの表情が薄め(序盤は特に)なのでその脇にいるザックを、となるのは割と自然な話でもあるなー。

 とか思っていたらインタビュー「僕らが一番大事にしたのは「ザックが愛らしい」ということ」って話を瀬下監督がしていてワッハッハッハ狙い通りじゃねーか!

 いや、マジで愛らしいので「かわいいものが見たい」と思ったときに「Levius」見てみるの、アリだと思います。みんなもNetflixに加入して、ザックというCV諏訪部順一のおじさんを見て癒やされよう。彼の歳に近ければ近いほど二律背反で胸が締め付けられると思いますが。

 

 LeviusについてはOP曲「wit and love」や上記のインタビュー通り、「拳闘の才能を開花させたいたいけな美青年を皆で押し上げる」話であるのですが、結局は「暴力」の中に生きる話でもあるし、いくらルールに守られていても一度リングに上がれば死ぬこともある。リングに上がる以上それに文句は言えない事を逆手に取って対戦相手を「必殺」する奴もいるし、「選手生命」を奪ってくる相手もいる。特に後者はその後の人生を考えると恐るべき話です。

 そういう「機械拳闘」という世界に何かを見いだして、その世界に飛び込もうとするレビウスに「拳闘の世界で生きるための技」を教えたのは彼の叔父であり、元拳闘士のザックですが、同時に誰よりもレビウスの身を案じているのもザックです。瀬下監督曰くの「過保護」ですが、納得できる話ですね。

 レビウスが活躍すれば誰よりも喜んで浮かれ、対戦相手の危険性を把握するとすぐにレビウスを棄権させようとする。 ED曲の「child dancerは才能によって確定されてしまった「あなた」の光と影、その道を傍で見守りながら悔いずには居られない振付師の唄ですが、まあザックだよねこれね……。OPとEDは1枚のシングルなのですが、ジャケットがなんとも言えない表情で「いい仕事……だな……」としみじみします。

 しかし当のレビウスは作中一の頑固者なので「(叔父さんが自分を案じて言っているのは)わかった(でもやる)」という有様なのですが、6話にして「望みをかなえる代わりに試合を棄権しろ」という交換条件まで出してきちゃっても~~~~~~ザックさんよお~~~~~~~~……(頭を抱える)。

 

 1話時点で表情に乏しいレビウスですが、個性的な拳闘士たちと戦い続けるにしたがい「対戦相手から学べることがある」ということに気づき、生来の素直さも相まってか凄まじい勢いで成長していくタイプのノッブだし、試合を経て「楽しかった」という思いを抱いた人をけなされてストレートに怒ったり(被害にあったのはザックの車)、自分に舌戦をふっかけて来た相手がどれだけのものを積み上げてきたかを試合の振る舞いで気付いて、すぐに相手への味方を修正したり、選手生命を奪われた相手に言葉をかけるなど、成長……というより人間味が徐々に表へ出てきている、と言った方が正しいのでしょうね。ある意味彼が狂言回しポジなのかもしれない。

 

 むしろブレているのはそこのザックおじさんなんだよなあ……7話以降で更なる「チーム」になるのだろうとは思いますが。

 そういえばあの肩幅の人(ペルソナ初代のフィレモンに似ているからこう呼んでいる)、一体いつになったら他の人にもわかる言葉で喋ってくれるんでしょうね……。

 

 そんなわけで続き見てきまーす。

 

 

 

 以下はタイトルというか、「なんで自分はわざわざ殴り合いの話を心臓に悪い思いして見てるんだ?」という事について。

 

 

 いや正直、メガロボクスの頃から思ってたんですよね、心臓に悪いじゃん。

 特にメガロボクスは「あしたのジョー連載開始50周年記念作品」という看板を背負ってもいたので、ギアレス・ジョーが矢吹ジョーの行く末をなぞる、つまりパンチドランカーになりライバルとの決着を得た果てに最終戦で「真っ白に燃え尽きる」事だってありえた訳です。蓋を開けてみればそうはならなかったけど、2の制作が発表されてしまったので俺はまた……ジョーの背中を追わなくてはならない……。

 

 まあ、止めればいいんですけど。「俺の中ではジョーは勇利とやり合ってその後はリングに上がらず平和に暮らしました!おしまい!」でもいいんですよ。

 いいんだけど、同じぐらい「見届けたい」という気持ちもあって、それがある限りは追いかけていたいんですよね。

 まあ子供の頃から少年誌、富士鷹ジュビロもそうだけどヤングアダルトとか、「痛みと共に乗り越える」とか、あとはニトロ方面のエロゲとかに親しんでいるのでもはや習慣めいた好み方なのかもしれませんが。言うて、「関わった以上は見届けたい」と思わせるのは作品の力だもんな。

 とここまで書いて、「あっ、だからファフナーが無理なのか、もはや多すぎて……」という気づきを得てしまったな、1期だけ見てみてRoLからは無理です、無理。はい。つらいのオンパレードが過ぎるでしょうが。HUMAN LOSTでも結構引きずってるんだぞ……今……美子……。せめて「完全に完結しました」って言ってくれないと向き合えねえよ俺はよ……。

 

 ところで近頃ポリゴン・ピクチュアズの仕事が多くて、「どう作ってもポリゴン・ピクチュアズって感じになるじゃん……」みたいな話を目撃したのですけど、この量のアセット全部をスルーしてまったく違うアセットを一から積み上げろって、それ漫画家に「画風をイチから根本的に変えて読み切りをやれ」って言ってるのも同じやぞという気持ちになりました。勘弁してやってほしい、様々な作品をやって丁寧に積み上げたアセットがあってこそ迅速かつ一定クオリティでCG作品作れてるんですよ!どこのスタジオだってそうだし、「あっこのスタジオだ」って一目見てわかるなら、それはスタジオのカラーであり画風が確立されてるって事じゃないですか……。

 

 正直今のポリゴン・ピクチュアズで「解放少女」をめっちゃ見たいんですが、まあ無理なのはわかってる、わかってるからせめて解放少女(SIN含め)がSteamで遊べるようになるといいよな……。