ろじうらのあかり

好きだからこそやるんじゃない やってるからこそ好きなんだ

感想:「返校 言葉が消えた日」


 ポメラに残っていたままだったので、UPしておきます。

 ロードショーで見に行きました。

 

 突然大きな音が鳴る演出、「ジャンプスケア」と呼ばれているのを最近知りましたが、そういった驚かしは序盤にちょっとあるぐらいでした。

 

 提灯幽霊は民話の色が薄くなり「監視」「圧政」の象徴となりましたが、ピアノやラジオアから流れる歌、墓や赤い蝋燭(=開発メーカーRedCandle)、占い道具などなどゲーム中の小道具を上手く生かした作りになっており、ゲームファンはもちろんアジアホラーが好きな人も楽しめるのではないでしょうか!

 

 ウチの推し劇場含め、セカンドランをやっている映画館もあるようなので是非見てほしいです。

 

 以下はゲーム版との比較含めてのネタバレですよ。

 

 

 

 原作ゲームのファンなのですが、PVを見た時点で「リスペクトに関しては問題ないどころかむしろ深そうやな……」と感じていたので、いつもの二番館上映ではなく上映開始初日に見に行きました。

 

 原作では最初にウェイ視点を操作し、彼と出会った女子生徒、レイに操作が移るという形でしたが、映画ではむしろレイとウェイのW主人公、という感じだったと思います。


 冒頭のレイが目覚めるシーンや、舞台上のシーンでゾッとするぐらい「ゲーム版の2Dスクロールそのまま」の場面が出てくるのですが、それがまた見ているこちらの「舞台の外にいる傍観者」としての立場を強調するように思えて好きですね。これからどんなむごいことが起ころうと、見ていることしかできない傍観者であり、それは過去を見つめている時でも同じ事である。起こったことは変えられないのだから。

 

 そう、起こったことは変えられず、死んだ人は生き返らない。
 けれど、生と死のあわいの中にとどまっている命がある。

 

 罪を告白して自死を選んだ(ゲームでは身投げでしたが映画では首つりかな?)レイと、度重なる拷問の果てに死刑に連行されるチャン先生で、ウェイ君を死の暗がりから生の光へ押し上げるという流れは、「この時代を伝え、残さなければならない」という意思のあふれるエンドだったかと思います。ED曲もそんな感じでした。

 

 そもそもゲーム上の時間軸では、あの連行から30年以上経っていた、つまりレイは30年以上あの場所でさまよい続けていたのに対して、映画版ではチャン先生が死刑となりウェイ君が獄中で殺される寸前になっていたため、「死者が生者を暗がりから願いとともに光へ押し戻す」というエンドへ持って行くための調整だったのかなーと思います。なおイン先生の亡命は叶わなかった。つらい。

 

 提灯幽霊、ゲームでは「レイの居場所(異界・冥界)を暗示」する役割として台湾で古くから伝えられる幽霊だったのですが、映画版ではっきりと「戒厳令下の監視体制」のメタファである形になっており、顔が鏡になっていて持ち上げられた人間の顔が映る演出があるのですが、レイが「イヤ」と告げた、己の行為、それが引き起こした事実を忘れたくないと意思表示をした時にだけレイの顔がはっきり映るという演出、ゲーム版の「私はあなた」「あなたは私」という事なんだろうなぁ。ゲーム中でも鏡が割れたり鏡が登場するシーンおおかったもんなあ。

 

 ウェンション君が憲兵スレンダーマンこと提灯幽霊に殺される場面、ウェンション君が「首を持ち上げられてズタ袋が顔を覆っていく」という所、個人の顔、尊厳を剥奪されて「国家に反逆した犯罪者」にさせられるというメタファなのだという事がよくわかって、劇中で一番「こんなのってないよお……」という気持ちを抱きました。アレ、レイが(結果的に)陥れた人間みんながされた事なんだよな……。

 

 所でゲームを知っている身としては「無辜の血」、舞台上で逆さ吊りになったウェイ君の首を切って血を確保し、謎解きにつなげるという流れはどうなるんだろうと思っていたのですが、まさかあそこまでパワーアップしたものになるとは思ってなくて正直ビビリました。まあ……そうなんだよな……ウェイ君だって禁書のありかを聞いてきたレイに下心がなかったわけじゃないので……「他の人に聞く」と行って去ろうとしたレイを放置するとまずい、という判断もあったとは思いますが、元々彼女に憧れていた状態だったのでね……。彼にも責任がなかったわけではない……。
 あのシーンのレイの表情が微動だにしなくて、やる事決まっちゃった女の顔でしたね……。
 そしてパンフを読んだら監督が「お気に入りのシーン」と言っていてどういう顔をすればいいのかわかんなくなっちまったな!

 

 最後に出てきた「苦悶の象徴」、解釈一致。レイの父が連行されて傷ついたレイが雨の中チャン先生の家を訪ねる、というシーンは一部の人の中で「抱け!抱けーっ!!」とノスタル爺が叫んだことかと思いますが、チャン先生だって心の中では理性と愛欲が殴り合っていたのだろうなあという事が大変よくわかりますね。
 しっかしチャン先生、朝礼のシーンで敬礼しながら歌うシーンの腕がムキムキで「えっ……すっご……」みたいな気持ちになってしまった。この上でベビーフェイスと理性的な発言はいけませんよ、そりゃ堕ちるて。

 

 ぶっちゃけゲームのトゥルーを上回るトゥルールートだったよ。みんな見てくれ。