ろじうらのあかり

好きだからこそやるんじゃない やってるからこそ好きなんだ

日報:2022/02/16 大棍棒展の話

 

 刀剣乱舞七周年から一ヶ月、「対大侵寇強化プログラム」も開催と相成りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

 私は棍棒をお迎えしました。

 

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 「木から削り出しただけの棍棒を展示、試し殴りもできるし気に入った棍棒をお買い上げすることもできる!」

 なんてバカバカしくも愉快で素晴らしい展示が大阪北浜でやってると言われたらそりゃ行きますわね。こういう所でフットワーク軽くいられる無職は最高だな!(ただし収入面のすべてがダメ、無職だから)

 

greatkonbou.jp

 あと上記の「大棍棒宣言」がキレッキレの名文なので是非読んで欲しい。

 

 さておきこの展示の報をきいて真っ先に思ったことは、

「お家に棍棒があれば多少の理不尽も「俺は家で棍棒とよろしくやってる」と受け流せる」のではないか、という所にあります。

 

 これが例えば刀なら「美術品」としての価値観はどうしてもついて回るし、そもそも現在の技術で再現できるものではないので「縁があって一時的に預かっているだけ、いずれはお返しする」という意識になると思います。
 ところが棍棒は、「人間が持ちやすいように、振りやすいように、何かを打ちやすいように持ち手を削り出した木の塊」です。それ以上でも以下でもなく、ただただ棍棒は「木の塊」であり、原始的な「暴力」の姿をしています。

 生存の本質として摂食にともなう暴力は決して拭えないためすなわち生存とは暴力であり、要するにこれ「ファイト・クラブ」だよなぁ……って会場で思っていたらマジで会場で映画版ファイト・クラブのテーマソングが流れたので「せやろな!!!!!」という納得がありました。

 

 それにしても、試し殴りが楽しすぎた。力一杯棍棒で殴っていい木がある場所、都会にそうそうないですからね……。じゃあなんで棍棒をお迎えしたんだよという話ですが、両手で持って部屋で素振りをしたりスクワットをしたりしています。1本2キロなのでウェイトとしては大したことないのですが、棍棒でやることが大事だからね……。

 私は人生で一番長く続いた運動がDDRなのですが、要するに「音に合わせてステップを踏む」という要素そのものが面白いのであり、棍棒を抱えてスクワットするのも棍棒を抱えている事自体が面白いっていうか意義ある事のように思っています。面白いんだからしょうがないよ。

 

 ちなみに今は棍棒をきちんと置いておけるようなスペースをお家の中で作るべくお部屋を片付けています。今TV台(TVはない)の上にあるんですけど、TV台にはホットクックを置いているから棍棒にカレーの香りとか普通に移りかねない

 

 大棍棒展、損益獲得ラインを超えたら東京で展示する計画もあるそうなので、是非東京でも開催されて欲しい。あの、まさに「打てば響く」というような快い音を東京の空にも響かせて欲しいものです。