2022/05/26 犬王楽しみ&平家物語の話
ブログを書くときと書かないときの差が激しいことに定評のある寺西です。
湯浅政明監督の「犬王」、上映が今週土曜に迫っております。
トレーラーで
「憧れになるその前に飛び込まなくては」
というフレーズが「なんか……スタァライトの「憧れ→ファン→対等なライバルではいられなくなる」文脈っぽいな……」と思っていたらこのインタビューでマジでそうだったことが判明して泡を吹きました。
こればかりは公開日に行くと決めているのですが、導線として同じくサイエンスSARU製作の「平家物語」見ておくかーと軽い気持ちで見ていたらいろんな気持ちにブッ刺さって「ヒン…………」という声を上げるしかなくなりました…………。
一言だけ言うとするなら……そうですね、琵琶法師の朗々とした語りをやってのける悠木碧、いったい何なんだ……。(声優だよ)
以下は「平家物語」OPの演出で泡を吹いた話です。こいついっつも泡吹いてるな……カニか?
平家物語OPの、重盛に駆け寄るびわのカットで何か違和感があったんですよね。
(0:42ごろ)
びわが重盛に向かう導線が水の流れによって途切れています。この時点で「演出としての自然さ」からは逸脱している。
次のカットは「びわが重盛のそばまで来て、びわの手を重盛が取る」ではなく「びわの手を重盛が取る」。
意図的に「水を蹴立てて、あるいは飛び越えてびわが駆け寄る」カットは描かれていない。
何故かと言えば、水の流れは「三途の河」であるから。びわの手を握る手が、重盛から平家の人物たちへと物理法則を無視してめまぐるしく移るのもそれを後押ししています。(このあたり、湯浅監督の「カイバ」OPを思い出すんだよな……)
みんないなくなる。病に、失意に、絶望に、戦の果てに、海の底に。
私は最初このOPを見た時、ぼんやり「あの水って三途の川かな……」と思っていたのですが、ただ4話を経た5話OPで「もういない重盛」を視界に捉えることで足下の川の存在を強く感じてしまい、ぶん殴られて情緒がめちゃくちゃになりました。
流れて変わったのはOPではなく、時間であり視聴者の認識……。こういうOPの演出があるんだな……いやそんなつもりはないのかもしれないけど製作サイド……。
今6話で、明日には完走予定です。つら……。