ろじうらのあかり

好きだからこそやるんじゃない やってるからこそ好きなんだ

感想:「スワロウテイル」(1996)

 

 岩井俊二監督「キリエのうた」の公開に合わせ、「岩井俊二×音楽」ということでスワロウテイルが公開されたので見てきました。

 塚口サンサン劇場で。

 

 

 今の映画館ってデジタル上映用の映像ソースがないとリバイバルも難しいんですけど、塚口はそれをたやすく飛び越えてくれるんですよね……。

 4スクリーン全てに35㎜フィルム用の映写機を抱えるという、たぶん「今の映画館スタッフ」からすると狂気の沙汰みたいなことをしているからね……。本当にありがとうございます。

 

 とはいえ自分は特に岩井俊二監督のファンというわけではなく、しかし公開当時のTVやラジオ、有線で「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」を聞きまくった身としては是非見ておきたかった、ということで以下は感想です。

 

 

 

 多分これからも、人生のいろんな場所でふと反芻するような、そういう映画だったな……って思います。

 

 何も知らない、しかし「円都」のただ中で産まれ育ち、たらい回しにされた先で出会った娼婦にもらった名で生きる少女アゲハの視点を軸に、円を目当てにやってくる移民「円盗」たちがひょんな所から掴んだ夢、しかし散り散りになっていくやるせなさ、女の愛、失われていくものへの憧憬が胸に残りました。

 

 ラスト前の、フェイホンと浅川がグリコと合流するためにタクシーを止めた流れ、こう……フェイホンはあくまで「出稼ぎに来た移民」、いち市民であって、「暴力で人を支配する」ことには本当に慣れてなかったんだよな……チンピラではなかった……ということがよくわかってつらい。

 

 だってバンドメンバーに「グリコを売ったのか!」と詰め寄られた時、フェイホン自分から泥を被りにいったもんな……。自分の力なしで飛んで行くグリコの蝶(の看板)を見て、自分がいなくてもグリコはやれるのだとわかってしまった……でもグリコ本人はフェイホンの夢を守るためにずっと歌っていたという……。賢者の贈り物にしてはいろんなものが引き裂かれすぎている……。

 

 浅川の「タクシーは金を払って乗るもの」という認識に引っ張られて両替しに行った結果、フェイホンは決定的な破滅に陥ったわけですが、銃というものは世間の常識をたやすく破壊できるもののはずで……ある意味「円への信仰」でもあったんだろうなあ。

 なんならアゲハのほうが「力で支配する」ことをわかっていた節すらある。

 

 そして作中の最強存在、偽札で揺らぐことなく「裏で諜報組織に属している殺し屋のラン」が対比として存在しているだけに……つらい。

 

 あとはもう言われまくっていることだと思うんですが、架空の町「円都」を描くにあたっての美術が凄まじいね……。本当にこういう景色が、むかしの日本にあったのかもしれないと思わせるような凄みがあった。

 冒頭の「日本語と中国語がちゃんぽんになった喋り」とかもすごかった……。

 

 あと……こう……桃井かおりに……桃井かおりに、ああいう「仕事一筋でそれ以外のことは放りっぱなし」みたいな女を演じてもらうの最高だなっておもいました……。