ろじうらのあかり

好きだからこそやるんじゃない やってるからこそ好きなんだ

「私、種崎君が、好きなの」


 明日はニトロプラス最新作「みにくいモジカの子」の発売日なので、そして普通に予約購入したので、私は私の心のちんちんが心配です。

 唐突にちんちんの話するのかよという話ですが、エロゲーの話する上でちんちんの話はあっておかしくない事なので、まあ仕方がないんじゃないかな。諦めて欲しい。

 と言っておきながら別にちんちんの話ではありませんが、父があと2,3日の命と担当医の言葉を母から告げられた時に、ぼんやりと「『父が生きている自分』が死んで、『父が死んでいる自分』になるんだろうな」という感慨を抱いたのですが、モジカにもなんか似たような気分でいます。以前と以後……みたいな……。

 モジカの体験版をやった時、「これは自分の目でこの話の行き着く先を見なければならない」という気持ちに駆られたからこそ予約もしたわけで、同時に「私の過去において、同じ気持ちになって製品版をプレイし、ある種の「みっともなさ」に救われた作品」について思い出したりもしています。「Maggot baits」の事なんですが、「マゴベのケースはそうだった」という話であり、モジカをプレイして、種崎くんやヒロイン達のたどり着く先を見届けてどうなるかなんてわからないわけです。そもそも見届けることができずに脱落するのかもしれない。
 わからないに決まっているので、ここに書いておこうとしているわけです。それを味わう前の自分を。要は遺書……遺書だこれ……。いやもうわかってたけど……。

 種崎くんの世界を、モジカされた世界を目の当たりにして私のどこかは死ぬかもしれないし、生きるかも知れないし、あると思っていなかった芽が芽吹くのかもしれないし、大事にしているものがズタズタにされるかもしれない。

 けど人生、本当はいつだってそんなものなのかも知れないなぁ。
 というか、なんで私はこんな儀式めいた形でエロゲと向き合おうとしてるんですかね。フィクションだぞ。