ろじうらのあかり

好きだからこそやるんじゃない やってるからこそ好きなんだ

感想:「劇場版 ごん -GON, THE LITTLE FOX-」

gon-cinema.jp

 塚口サンサン劇場が上映するって言わなかったらそもそも存在を知らなかったのですが、塚口が上映するって言って予告編で涙腺が壊れたので粛々と見て参りました。

 

 教科書に載る作品でネタバレも何もありませんが、監督による演出や解釈の表現バレが含まれますのでご注意ください。

 

 

 パンフくれよ!!!!!

 パンフ……パンフをくれよぉ!!!!!こんなパンフ欲しくなる映画そうそうないよ!!!!!

 何考えてこんな映像作ったんだよ!!!!(気が狂いそう)

 

 映画キャッチコピーの「神様なんて、いるわけないじゃん」が鑑賞後に凄い勢いで襲いかかってきて虫の息になった人めちゃくちゃいると思う。

 

 ストップモーションが本当にイカれててイカレてる……みたいな感想になるの良くない、良くないんだけど語彙が飛ぶんだよ、質感がすごいんだよ雨の飛沫とか彼岸花の揺れとかうなぎとかススキとか……マジ勘弁してくれ助けてくれよ……。


 今CGが隆盛どころか「あって当たり前」なのって、ストップモーションやアニメで手間をかけていた作業が全部PCの中でやれるからなんですよ。もちろんPCの中で全部できるからって手間が全部なくなったわけじゃないが、例えば動かす人形がどうしても似せられないとか、クオリティがズレたりするような、アナログならではの手間が軽くなるのは確かです。
 それでも「ストップモーション」という表現方法を選ぶ監督、「これがいい」でも「これしかない」でもやっぱ気が狂ってるとしか言いようがないよ……2020年にその手法を選んだ時点で「強度」が高すぎる……(大の字)。

 

 ごんの唇が突き出したお顔、多分狐のマズルを意識したのかな?と思うんですけど、小さな頃に親を亡くして、いつも寂しさに唇を尖らせている少年の塩梅……横顔になるとそれが際立ってさあ……。

 

 トンボが「おまえのせいだ」って言ってくるの、ごんの自責を代弁しているのかトンボの言葉なのかわからなかったけど、最初の時点でなぐさめに来ているからトンボはトンボなのかな。

 

 あとこう……メタファがうまいよな、彼岸花の枯れる姿とかな。
 あれは己の贖罪と献身が報われることは無いと知ったごんの心だし、彼岸の終わり、奇妙な交流の終わりを告げる暗示なんだよな、それでも一本残って咲いている彼岸花(=献身を続けるごん)を兵十が摘み取って、「おっかあが見守ってくれてるんだろ」と母の位牌へ供えるんだよな……いるわけのない神様に……そんな都合の良さはないんだよ、死んだおっかあが栗や松茸を運んでくれるなんてさ……(壁に額を打ち付ける絵文字)。

 

 原作で玄関だった栗の置き場を厨(土間?)にしたのは、監督ってば光の中へ消えていくごんがやりたかったんだな、ということだけはわかる。バチバチにわかる。

 

「銃声」については、塚口の音でした。命が失われる音だった。

 

 兵十が腹を決めてからの描写、火縄銃の弾の込め方みてると、本当に「標的に向かって引き金を引けるか」だけだったんだな……。
 銃を構えた時の逆光演出、完全にいっぱしの男の背中だったもんな。目つきも猟師のそれで……そんなふうに心を決められたのはごんの献身あってこそだけど、兵十はそれをおっかあが見守ってくれてると解釈したので……。


 暑さ寒さも彼岸まで、という諺を思い出してしまいました。彼岸が終わる頃には過ごしやすくなる、という意味ですが、彼岸の終わりに心の整理がついて、猟師として「過ごしやすく」なったんだもんな……。

 

 兵十が銃を取り落とす前に銃をきゅっと抱える仕草、見ているものが信じられずに縋ろうとしたが現実は現実なので打ちのめされるという流れになっててウルトラグッドでした。実際は違うかもしれんが私にはそう見えました。個人の感想です。

 

 全体として、轟然とした「断絶」というリアリズムが一本芯を貫いていて推せるな……って思いました、もちろん新美南吉の原作からしてそうなんですけど、より納得感があるというか、監督によって補強されている感じ。
 だってあのEDでスタッフロールの横でずっと飛んでるのが求愛(交尾)するトンボなので……。

 「戦争してても蝉は鳴く。ちょうちょも飛ぶ」なんだよな……。

 

 話の筋は嫌というほど解っていたからか、主に演出やクオリティ面への感想になってしまった、許して欲しい。

 

 パンフは買えなかったけど、メイキング動画が公式youtubeチャンネルにあるようなのでので見てきます。